湖西市商工会訪問・豊田佐吉記念館を訪ねました
今日は、またもう一つの貴重なチャンスを頂き、湖西市商工会を訪問してきました!

大雨にもかかわらず、HAMAZOの佐野さんと一緒に湖西市に向かいました。迎えてくれたのは湖西市商工会の村松進さんでした。
忙しいはずの村松さんは一時間以上も熱心に話してくれました。
村松さんの話は、主に湖西市が起源になる日本の自動車メーカー「豊田」についてです。もともと「豊田」と言われると自動車しか思い出せませんが、驚いたことに、豊田は織機から創業したようです。そして、近年時代の流れにつれて自動車も変わりつつあり、企業がそれに対応しなければなりません。特に、自動車の電動化によってバッテリ工場を作り、モーター部品も生産するようになっています。湖西市はあまり活気のない町であると気がしましたが、なんと、世界の変動と同時に積極的に動いている人口6万人の町です。
商工会での話し合いが終わった後に、豊田の話に続いて村松さんに「豊田佐吉記念館」まで連れてもらいました。ここは正に日本の誇りである「豊田」の創業者の人生が分かるところです。

入口には最初の説明文があります。豊田佐吉様のことを「世界の発明王」と呼び、「故郷を、日本を裕福にしたい…その想いが発明によって、日本の産業を発展させてきました。豊田式木製人力織機から始まった数々の発明の原点がココに。」と述べています。 では、豊田佐吉さまはいったいどんな方でしょうか?

開館時に書かれた簡単な説明もここにあります。

その答えはすぐ見つかりました。庭に入ると、緑の中に隠れていた豊田佐吉様の胸像。
展示室に入ったら、村松村さんの説明が始まりました。日本初の織機と言われる、豊田式織機が時代の流れと共にどのように変化したか、その織機の発明の原点はなにか、などなどの話でした。最も印象的なのは、織機や糸を使って布を織りなすという発想は、なんと…子供の頃に遊んでいた凧の紐から思いついたものです!玩具の凧が立派な発明に繋がったのは、全く想像もつきませんでした!

豊田佐吉記念館を開館した方のご挨拶もビデオに流されていました。その画面に現れた書道は、豊田佐吉様の名言の一つです。原文は「百忍千鍛事遂全」ですが、「百の苦難を耐え忍び、千の訓練で鍛えれば、目標を達成することができる」という意味です。

次に、豊田佐吉様の人生を語る年表も拝見しました。

こちらは、豊田佐吉様の卒業証書です。当時の筆跡は印象的ですね!なんとなく現在の書くスタイルとは違い、とても個性的に見えます!






